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  • 2007.09.23 Sunday
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確立の話

 前から思っていたことですけど、死が絶対のものであるのに対し、生まれることは確立恐ろしく低いことが納得できません。
 始まりと終わりの確立は同値であるべきだと思います。
 ですからここで思いつきを、生まれることですら絶対であったと。
 選ばれる遺伝子は確かに確立で選ばれたかもしれませんが、肉体に宿る魂はどの遺伝子だろうと同じものだと。
 だからどうというわけではありません。
 生まれる前に意識があった場所。死とはそこに還る事を指すのでしょう。現代では体を捨てれば永遠に生きながらえることも不可能ではないらしいですから、全くもって人は異常だと思います。

認識の話

 今日は認識の話を。
 時間軸がひとつでないと仮定すると、複数ある時間軸はどのように存在しているだろうか?
 人間が普段生活している3次元空間では縦横高さの3つの軸が存在している。そして、4次元になると今度はそれらに加えて時間と言う要が入ってくる。
 ここで疑問になるのが、そもそも『時間』は個人個人にとって可変であることだ。
 それは楽しいときと退屈なときで感じる時間の長さが違うと言う主観的なものでなく、双子のパラドックスに代表されるような客観的な違いからだ。今の世界では時間と言う概念は一般に西暦(グレゴリオ暦)で記されているが、グレゴリオ暦というのは社会が暮らしやすいようにするために設定した太陽太陰暦である。そしてこれで表される時間と個人が保有する時間と云うものは全くの別物・同期の取れたものではありえない。
 このことから何が言えるかというと、『人々は西暦においてもそれぞれ違う時間に居る』と云うことだ。
 例えば、Aの認識では現在は西暦2007年であるが、Bという他の認識では今西暦2000年かもしれない。
 もちろんAの世界にもBは存在しているし、逆もまた然りだ。
 ただAから見たBというのはBの本質は2000年に居るのだから、未来の存在ということになるし、またBから見たAというのは同様にAの本質は2007年にいるのだから過去の存在となる。
 
続く